自分の失敗、不甲斐なさ、欠けに嘆き、気落ちすることはないでしょうか。私はあります。こんな話を聞きました。インドの民話だそうです。
ある水汲み人足が、天秤棒の両端に2つの壺をさげて小川からご主人の家まで水を運んでいた。一つの壺は完璧だが、もう一方はひび割れていた。ひび割れた壺はいっぱい水をいれてもご主人の家に着く頃には半分になっていた。ひび割れた壺は、そんな自分をいつも恥じていた。すっかり惨めになったひび割れた壺は、ある日、水汲み人足に話しかけた。「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたたにすまないと思っている」「なぜそんなふうに思うの?」「この2年間、私はこのひびのせいで、あなたのご主人様の家まで水を半分しか運べなかった。水が漏れてしまうから。」すると彼は言った。「道端の花に気が付いたかい?僕は君から落ちる水に気づいて、君が通る側に花の種をまいた。そして、君は毎日、僕が小川から帰る途中、水をまいてくれた。この2年間、僕はご主人様の食卓に花を欠かしたことがない。君があるがままの君じゃなかったら、ご主人様はこの美しさで家を飾ることができなかったのだよ。」
私たちは、自分の弱さにへこむことがあります。完璧にことをなしているように見える人と比べるとなおさらです。けれども、どんなに自分に絶望することがあっても、欠けだらけの自分を神に委ね、ささげ、十字架を見上げ、立ち上がって前に進みましょう。神はそんな私たちを通して驚くべきことを成して下さるのです。
「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」(Ⅱコリント12:9)
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