幸福はどこに?

幸福とは何でしょうか。無意識にも、漠然と、幸福は「ことがら」や「ものごと」にあると考えて、私達はそれらを追い求めます。例えば「良い学校に入ること」「理想の人と結婚すること」「マイホームをもつこと」「仕事に成功すること」「有名になること」「金持ちになること」・・・。でもそれらを得たとしても、人は必ずしも幸福であるとは限らないことを、ある程度の人生経験を積んだ後に気がつきます。

 あるとき、主イエスは「律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」と尋ねられ、こう答えられました。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。この二つ戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」(マタイ22:37-40)

 「律法と預言者」は主イエスの時代には、聖書を意味しています。聖書全体が「神を愛すること」と「隣人を愛すること」にかかっていると主イエスは言われたのです。 

幸福は、実は「ことがら」「ものごと」にあるのではなくて、「人格と人格の関係」すなわち、「神と人との関係」「人と人との関係」の中にあるのです。心が通じ合う関係、愛し合う関係です。

あなたは、神に愛されていることを感じ、神を愛しておられるでしょうか。神と共に歩み、親しい交わりをもっているでしょうか。あなたは、夫、妻、子、父、母、兄弟姉妹、友人…等々の隣人を愛し、愛されていると感じているでしょうか。もし、神と隣人と間にそうした関係を築けているならば、あなたは幸福で、満たされているはずです。いつでもこうした関係を壊すものは、人間の罪、罪深い自我です。

聖霊に心を開き、神と隣人との関係が健全であるようにさせていただきましょう。
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