だれでも渇いているなら

 先週、東京の教会で開かれた聖会に参加した折に、休息の時間があったので大久保通りに散策に出たところ、あまりの人混みに圧倒されてしまいました。コリアタウンと言われるだけあって韓国料理店やカフェ、韓国コスメや雑貨を扱うショップなどが軒を連ね、韓流人気に乗って多くの若者が所狭しと、練り歩いています。入曽のような閑散とした街から出て来た者には、まるで祭りのように感じました。

 ところで、ユダヤ人の祭りには、各地からエルサレムに大勢の人々が集まってきました。そんな祭りの終わりの大いなる日に、主イエスは立ち上がり、大声で叫ばれたと聖書にあります。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水が流れ出るようになります。」ヨハネ7:37,38

 主イエスには、人々が心の満たしを求めて集まってきてはいるけれども、依然としてカラカラに渇いているのが見て取れたのでしょう。華やかで荘厳な宗教的儀式を目の当たりにして刺激を受けながらも、彼らの心は潤い、いのちに溢れてはいませんでした。

今日も、状況は同じではないでしょうか。多くの人が様々な刺激を追い求めますが、一向に満たされない心を抱えています。次から次へと流行を追い求めますが、また渇きます。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来なさい。」と主イエスは私たちをも招いておられるのです。

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