マラナ・タ

新約聖書を読むと初代教会が、主イエスの再臨を待ち望んでいた様子を窺い知ることができます。自分たちがこの世に生きている間に、主イエスがお出でになることを期待しているようにさえ感じます。彼らの挨拶の言葉は、「マラナ・タ(主よ、来てください。)」(Ⅰコリント16:22)でした。

初代教会は、国家や社会からひどい圧迫と迫害を受けていました。それ故に、なお一層、どんなにか愛し慕う主イエスが再びお出でになり、この世界を正しく裁かれ、主イエスが治める神の国が到来し、救いが完成する日が来るのを待ち望んでいたか想像に難くありません。

さて、それに比べて、今日の教会はどれだけ主イエスの再臨を待ち望んでいるのでしょうか。「上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。」(コロサイ3:2)とありますが、私たちの関心が地上的なもの、「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」「世と世の欲」(以上Ⅰヨハネ2:16,17)に終始していることはないでしょうか。

今の時代を見ると、至る所に行き詰まり、破壊、綻び、破れがあり、暗黒の度合いは益々深まっています。人々は痛み、苦しんでいます。否、全宇宙、被造物全体が呻いているように感じます。

主イエスは、「見よ、わたしはすべてを新しくする。」(黙示録21:5)と言われます。キリスト者は、主イエスの再臨を待ち望んでいるのです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次