主を待ち望む

今日は、アドベントの最後の主日礼拝です。アドベントは、キリストの御降誕を待ち望むときなので、待降節とも呼ばれます。

ルカの福音書に、キリストの誕生を待ち望んでいた一人の老人が登場します。名はシメオン。「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。」(ルカ2:25

救い主キリストの到来は、長い年月にわたり預言者を通してくり返し告げられていましたが、必ずしも人々はそれを待ち望んではいませんでした。東方から博士たちが星に導かれてお生まれになったキリストを礼拝するためにやって来ましたが、ヘロデ王は動揺して、殺害をさえ試みました。聖書に通じた祭司長、律法学者は驚くほど正確にキリスト誕生の地を言い当てましたが、探し求めようとはしませんでした。エルサレム中の人達も同様でした。そうした中でキリストの誕生、到来を待ち望んでいたわずかな人たちがいたのです。その一人がシメオンでした。

私たちは、どうでしょうか。キリストは既に2000年前に私たちの罪を贖うために誕生しました。しかし、聖書は繰り返しキリストの再臨をも語っています。

「キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。」ヘブル9:28

 初代教会の挨拶の言葉は、「マラナ・タ(主よ、きてください。)」(コリント16:22)でした。救いの完成のために再びお出でになるキリストを待ち望みたいと思います。


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