日本宣教会について

日本宣教会は、1923年(大正12年)に創設された、メソジスト・ホーリネス系のプロテスタントの教団です。

  私たちは、次のことを信じ、告白します。

【聖書】
新旧約聖書66巻は、原典において誤りなき神の言葉であり、信仰と生活の唯一の規範である。

【神】
聖書が啓示する神は、唯一の神であり、天地万物の創造者、始まりも終わりもない永遠者、変わることなく、力と知恵に満ち、その性質は聖と義と愛である。その存在は父と子と聖霊の三位一体の神である。その本質において同質である。

1.父なる神
父なる神は、みこころのままに時に至って罪びとを救うために御子を遣わされた。

2.子なる神、イエス・キリスト
イエス・キリストは真の神であり真の人である。聖霊によって処女マリヤより生まれ、全人類の罪をその身に負って十字架の上で死に、葬られ、三日目に栄光の体によみがえり、天に昇られ、今は父なる神の右に座し、私たちの為にとりなしておられる。

3.聖霊なる神
父と子よりいずる聖霊は、永遠の神であり、主イエス・キリストを信じる者の内に住み、教え、助け、導き、きよめ、教会に仕える賜物と主イエス・キリストをあかしする力を与える。

【人】
人は、神と交わりを持つように、神のかたちに似せて、神の愛の対象として創造されたが、最初の人アダム以来、神に背を向け、罪の中にあり、滅びに向かっている。

【救い】 
人は罪のために神との交わりを失い、霊はいのちを失い、心は歪められ、肉体は死すべきものとなったが、神は、人を顧みて、御子イエス・キリストの十字架の贖いと復活により、聖霊によって人を完全に救われる。

1.新生
罪を悔い改め、主イエス・キリストの贖いを信じる者は、信仰によって罪が赦され、新しく生まれ、神の子となり、永遠のいのちを持つ。

2.聖化
人は罪の赦しを受けた後も神に逆らう罪の性質を持つ。神に自分を全く献げ、罪をきよめる主イエス・キリストの血潮に信頼することによって、聖霊によって瞬時的に罪の性質から解放され、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛することを可能にする。そして聖霊によって歩むことによってキリストの似姿に変えられ続けていく。

3.神癒
神は御心のままに恵みよって肉体の病を癒される。しかしながら、使徒パウロの場合のように癒されないことを通して神の力と栄光が現される場合がある。

4.栄化
究極的な肉体の癒しとして、主イエス・キリストの再臨のときに主イエス・キリストの復活と同じ栄光のからだに変えられる。

【教会】
教会は、神に召され、罪を贖われ、聖霊によって新生した者たちの集まりであり、この世にキリストを示すキリストのからだである。教会のかしらは、キリストである。教会は、公同の礼拝を守り、洗礼と聖餐の聖礼典を行い、御言葉によって聖徒を整え、互いに愛し合い、福音を宣べ伝え、主イエス・キリストの再臨を待ち望む。

【宣教】
主イエス・キリストは、よみがえられた後に「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)と命じられた。それゆえに、世界宣教は教会の使命である。

【再臨】
主イエス・キリストは、栄光のからだをもって再び来られる。そのとき、キリストにある死者はよみがえり、生きている聖徒は栄化され、神の国を受け継ぐ。そして世は裁かれる。

 私たちは、このように信じて代々の聖徒とともに使徒信条を告白する。

使徒信条

 我は天地を造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来りて、生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。 アーメン。