聖書は「罪」を問題にしますが、「罪」と聞くとどんなことを思い浮かべるでしょうか。人のものを盗む、嘘をつく、結婚関係以外に男女の関係を持つ、人の悪口を言う、偶像を崇拝する、他人を妬ましく思う、・・・・。教会に通い、聖書の話を聞いている方ならば、きっと外側に表れる行為だけではなく、心の内面にかかわることまで、様々なことに思いが至るかと思います。
そうした中で、最も大きな罪は何だと思いますか。罪に大小を付けるのはいかがと思いますが、敢えてそうした場合に。「高慢」「高ぶり」ではないでしょうか。それはあらゆる罪の本質に関わっているからです。
サタンは、天使の頭で最も麗しい存在でしたが、神の位に立とうとしたときに、堕落してサタンになりました。主イエス様が来られた時、遊女や取税人などの当時の社会が罪びと呼ばわりしていた人たちは、喜んで迎えましたが、パリサイ人や律法学者たちは主イエスを斥け、拒絶し、十字架に追いやりました。自分たちは、救われる必要がない義人であるとの自負があったからです。
「高慢」「高ぶり」は、自慢するとか、誇ると言うような表層的なことではなく、「神無くしてもやっていける」「私は救いを必要としていない」・・・そうした心です。ですから私たちは、いつも主イエス様の次の言葉を噛みしめていたいと思います。「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」ヨハネ15:5
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