神様がいるならば、どうして?①

「神様がいるならば、どうして?」という訴えを聞くことがあります。

こうした声には、大きく分けて2つあるように感じます。

 一つは、「神様がいるならば、どうしてこの世界には悪や不条理や悲しみ、痛みがあるのか?神様は、こうした悪や闇を創造されたのか?」。もう一つは、「神様がいるならば、どうして周りの人に比べて私はこんなに不幸なのか?不公平ではないか?」です。どちらも、現実の生活の中で生きづらさを抱えている人にとっては、切実な問い掛けであると思います。

 紙面の都合上、まずは前者の問いに対して答えを試みたいと思います。この世界に悪、不条理、破壊、災い、痛み・・・等があるのは、人間の罪の結果です。神様は、この世界を「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。」(創1:31)とあるように、甚だ良いものとして造られたのですが、神と交わりを持ち、共に歩むように創造の冠として造られた人は、造り主なる神を離れ、捨て、自分の欲に従って生きるようになったためにこの世界は歪んでしまったと、聖書は告げます。一番悲しんでいるは神様なのです。神様の救いの計画は、ご自分の造られた世界の回復です。

神から遣わされた救い主なる主イエスは言われました。「時が満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)この罪の世界はやがて神の裁きによって滅びます。しかし、悔い改めて福音(御子イエス・キリストの十字架による罪の赦し)を信じる者は、嘆きも悲しみも涙もない神の国に生きるようになるのです。キリスト者は、この希望を抱いています。

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