T姉の召天

 T姉が主の御許に召されました。開拓伝道が始まった年に教会に見えられ、翌年に受洗された方でしたので、とても長いお交わりでした。
 こんな話をよくしておられました。「私は、『お見合い』ではなくて『見られ婚』だった。相手の顔もよく分からぬままお嫁に来たのよ。」そのご主人が認知症を患い、とても大変なところを通られましたが、最後までよく面倒を見られ、教会にも連れて来て、洗礼にまでお導きになられました。
 ご主人が召されてお一人暮らしになったとき、エホバの証人の頻繁な訪問を受けるようになったので、私は内心とても心配したことがありました。エホバの証人は正しく聖書を教えていないからです。私はそれとなくそのことを伝えたのですが、構わない様子でした。考えてみると情に厚い温かい人柄に加えて、話し相手のいない一人暮らしの寂しさもあったのだと思います。ところが、ある時「エホバの証人は、十字架を杭と言っているので、とてもがっかりし、失望した。」と言われたのを聞いたとき、彼女は主イエス・キリストの十字架によって罪の赦しを受けて救われたことを本当に感謝しているのだと気づかされたことでした。エホバの証人の訪問は途絶えていきました。
 晩年は、老人施設に入所され、ここ数年はコロナ禍のために面会が敵わずに、それが心残りとなっています。しかし、93年の御生涯をりっぱに走り抜かれました。主の御手にお委ねしたいと思います。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとにいくことはできません。」ヨハネ14:6
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