神様がいるならば、どうして?②

今回は、前回の続きです。「神様がいるならば、どうして周りの人に比べて私はこんなに不幸なのか?不公平ではないか?」と言う問いに対する答えを試みたいと思います。

「親ガチャ」という流行語があります。どんな親から生まれてくるかによって人生は左右されてしまうが、子どもは親を選べないという意味の言葉で、随分と若者の共感を集めたようです。確かに人生は平等ではありません。平等と言う言い回しが適当かどうか分かりませんが、少なくとも違いがあります。才能にしろ、容姿にしろ、経済的環境にしろ・・・。

ところで聖書にこんな記事があります。主イエスが生まれつき目の見えない人を見かけられた時、弟子たちは主イエスに尋ねました。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」すると主イエスは答えられました。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」(ヨハネ9:1-3)

この人に神のわざが現れるため!驚くべき言葉です。他者と比較して自分が不幸であると思うことも、その原因を探すことも全く不毛。世間が何と言おうと、人からどのような目で見られようと、自分が自分をどのように感じようと、私たちを通しても神は働かれる。私たちでなければできないことを行い、神の栄光を現わすことができる。主イエスは、そう言われたのです。

どんな状況、境遇にあってもそこからその人でなければできない「神のわざが現れる」のです。そのことを信じて、歩みたいものです。

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