先日、娘から尋ねられました。「お父さん、死んだら天国に行く自信がある?」牧師ですから当然「もちろんあるよ!」と答えたいところですが、我が身を振り返るときに、果たして胸を張ってそう答えることができるのだろうかと思いました。「ただ主イエス様の十字架の恵みによって天国に行けると思うよ。」それが娘に対する私の答えでした。
使徒パウロは、こう言いました。「なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。」(Ⅰコリント2:2)
随分前になりますが、ある宗教の方々がまるで道場破りのように大勢で教会にやってきました。キリスト教信仰を論破しようとしたのです。記憶がおぼろげになってしまいましたが、その中で彼らは、十字架で死んだ敗北者を救い主と信じることの愚かしさを挙げました。
確かに、この世の知恵からすると、十字架ほど愚かしいことはないのかもしれません。しかし、絶対者なる神様の前に自分の罪深さを知り、嘆き悲しむ人にとって、十字架ほどありがたい恵みはありません。神は、罪を知らない主イエスに私たちの罪を負わせ、主イエスの死をもって私たちの救いとされたのです。
私たちは、ただ主イエスの十字架によって罪が赦され、神の子となり、神の国を継ぐのです。ああ、十字架!「誇る者は主を誇れ」(Ⅰコリント1:31)
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