子どもの頃は、一日がとても長く感じたものでした。社会人になったとき、時の速さを感じるようになりました。今は、人生の短さを実感しています。
モーセは次のように祈っています。「私たちの齢は七十年。健やかであって八十年。そのほとんどは、労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ、私たちは飛び去ります。」(詩篇90:10)
モーセの時代の人の齢は70年~80年だったのでしょう。今の私たちは、それより10年程長く生きるようになりましたが、それでも瞬く間に過ぎ去る年月には変わりはないでしょう。そう思うと、「人生において何が大切なのか」を改めて考えさせられます。
振り返ると社会人として働きに出た20代の頃は、いかにやりがいのある仕事をして成果を上げ、周りから認められるかを主眼に生きていたように思います。献身をして主の働きに就くと、何を成し遂げ、何を次の世代に残せるかを考えながら歩むようになってきました。しかし、自分の人生にも終わりがあることを以前にも増して意識するようになった今、「主のために、教会のために何をなすか」の大切さを自覚しながらもそうしたことも少しずつ色あせ、もっと大切なことに思いが至るようになりました。「愛する」ということ。
「主を愛し」「家族を愛し」「教会を愛し」「地域を愛する」。神学校で学んだことでしたが、その通りだと最近感じています。「愛する」ことにこそ、人生の幸いがあり、喜びがあり、主の御心があるのだと思います。
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