早天祈祷会から自宅に戻るといつもなら出勤しているはずの娘が未だ家にいるので、「どうしたの?」と尋ねると、人身事故で電車が遅延しているとのことでした。ほんの一週間前にも同じ線の朝の通勤時間に人身事故があったことを思い出し、あまりの頻度に驚いてしまいました。
生きづらさを覚え、自らいのちを絶つ人がこんなにも多い社会をどう考えたらよいのでしょうか。どこか間違っている、異常だと思います。
フッと次の聖書の言葉を思い出しました。「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。・・・そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない。そこはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命を全うしない老人もいない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。」(イザヤ65:17-20)
ここで語られている世界の解釈は、いろいろあると思います。しかし、確かなことは神が支配し、治めている世界です。
人類が築いてきた文明は、神を除外して自らが神の立場に立とうとするものでしたが、行き着いたところは破壊、不毛、行き詰まり、そして生きづらい社会だったのではないでしょうか。
キリスト者は、主イエスの福音を伝え、主イエスが「主」とされる神の国を広げなければならない。強くそう思わされます。
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