霊的な存在

 
先日、テレビのチャンネルを捻っていたら山伏を紹介する番組に出くわし、思わず見入ってしまいました。山中に籠って修行し、山岳のもつ自然の霊力を取り込もうとする彼らの姿を見ながら、人間は物質的なものだけではなく、霊的なものを求めているのだと思わされました。

聖書は、人は次のように創造されたと記しています。

「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」創世記2:7

ここに「息」とあります。聖書において「息」は、霊を意味します。ですから人は、肉体がちりに帰る物質的な存在であるとともに、神からの霊を持つ霊的な存在でもあるのです。

主イエスは、「神は霊ですから」(ヨハネ4:24)と言われています。人は霊なる神と交わりを持つことができる者として創造され、神と共に歩み、神との交わりを喜んで生きるところに人を生かすいのちが溢れると聖書は語っているのです。

人は、大地のちりから創造されたので、大地(自然)を慕い、大地から霊的な満たしを得ようとする傾向があります。しかし、それは的外れです。そこから人を真に生かすいのちは生まれません。キリスト者であっても知的に神を知りながら、神との交わりを知らなければ、いのちに溢れません。

主イエスにあって、聖霊による神との交わりを日ごとに知り、経験し、喜び、楽しむキリスト者でありますように。日々の歩みが変わります。
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