「なぜ、私はこんな苦しい経験をするのだろうか」「なぜ、私はこんな悲しみを味わなければならないのか」と自問したことはないでしょうか。
辛い経験や悲しみは、その人の人間性を歪めてしまうことがあります。ところが、主イエスのもとに来る時に、その人が経験した挫折、痛み、苦しみは、むしろ益となって豊かな人間性を生みだします。
最近、一人の牧師のあかしを読みました。あまりのすごさに感銘というより驚きました。彼は、自分の子どもの他に特別養子縁組で二人の子を迎えました。2人とも障がいがあり、親に拒絶された子です。一人の子についてこう記しています。「この子は、重度の障がいと病気のゆえに、親が迎えに来ることなく、病院のGCU(新生児回復室)の一番奥に物のように置かれていました。私には何もしてあげられないかもしれないが、お父さんにはなることができる。そんな思いから、この子をわが子として迎えました。」
普通では到底できないことです。実は、この牧師は母親が産もうかどうか悩んだ末に生まれた子でした。産まれていなかったかもしれない人だったのです。その痛みが、親に捨てられた子に対する痛みを生みだしました。
苦しみや痛みは、それが深ければ深いほど、キリストのもとに来る時に、その人をして他の人には真似できない奇跡の人にします。主イエスも苦しみ中を通られたからこそ苦しむ人を救うことができるのです。
「イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。」ヘブル2:18
コメント