この苦しみのときに

詩篇が好きなクリスチャンは、多いのではないかと思います。詩篇には、赤裸々な信仰者の心情がほとばしり出ています。あるところでは神への感謝と讃美として、あるところでは罪の告白として、あるところでは悩みと苦しみからの悲痛な叫びとして。弱さともろさを抱えながらそれでも主に信頼して痛みと矛盾に満ちたこの世を歩んで行こうするクリスチャンの心情と重なるものがあるのではないでしょうか。

詩篇107篇6節に次のような御言葉あります。「この苦しみのときに 彼らが主に向かって叫ぶと 主は彼らを苦悩から救い出された。」

ここでは、祈りが「叫び」となっています。叫ぶような祈りです。必ずしも声を上げて叫ぶことだけを意味してはいないと思います。たましいがうめき、叫ぶような祈りです。

苦しみは、必ずしも罪の結果起こるものではありません。けれども、苦しみを通して、初めて自分の罪と愚かさに気が付き、悔い改めに導かれることもあります。自分なりに正当化していたけれども、実は薄汚れた自己中心な所業であったことに目が開かれる経験です。そのとき人は心が砕かれます。そして魂の奥底から叫ぶように祈るのです。主はその苦悩から救い出して下さいます。

こんな経験をした人は、幸いです。

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